ブラックパワーの爆発
黒人革命は1955年キング牧師が26歳のとき、非暴力による大衆直接行動としてモントゴメリーで行ったバスボイコット運動からはじまりました。
その運動の頂点は63年のワシントン大行進であり、最大の成果は翌64年の公民権法成立であったといえます。
第二次世界大戦後、数回の公民権法が成立していますが、このときほど1世紀にわたって続いてきた南部の生活様式を根底からくつがえしたものはなかったのです。
しかし、この公民権法は、主として法的差別がひどかった南部の黒人たちを救済することを目標としていました。
したがって、貧困に苦しんでいた北部都市のスラム街に住む若い黒人たちの間に、次第にフラストレーションが高まってきたのは当然でしょう。
こうした状況のもとで、63年、64年にはアメリカ全土で散発的な人種暴動がはじまったのです。
そして、65年の夏には、ロスアンゼルスのワッツで大暴動が発生しました。
1966年6月に、黒人の間で名の知られた指導者の天であるジェームズ・メレディスが、テネシー州メンフィスから、ミシシッピ州都のジャクソンまで、公民権運動の一環として1人だけの行進を開始しました。
メレディスはケネディ政権時代の62年9月に、それまで黒人を受け入れなかったミシシッピ大学に入学願書を提出し、それがやっと受理されました。
しかし、入学を妨害しようとする白人学生たちと、メレディスの入学を守ろうとするロバート・ケネディ司法長官が派遣した数100人の連邦保安官との間で暴力抗争となり、ついに死者まで出る騒ぎとなりました。
当時、特別補佐官だったアーサー・シュレジンガーが「オックスフォードの闘い」と呼んだ事件であり、メレディスはその中心人物でした。