« 2010年05月 | メイン | 2010年07月 »

2010年06月 アーカイブ

ブラックパワーの爆発 その2

ところが、メレディスは、行進をはじめた翌日、草むらにかくれていた白人に銃撃されて倒れました。

この衝撃的な知らせを聞いて、公民権団体の指導者たちが続々とメンフィスに集合しました。

黒人たちの象徴的な存在だった南部キリスト教指導協議会(SCLC)のキング牧師、人種平等会議(CORE)のフロイド・マッキシック、それに学生非暴力調査委員会(SNCC)のストークリー・カーマイケルの3人は、メレディスに代わってこの行進を続行させることに意見が一致し、支持と参加を全アメリカに呼びかけました。

やがて、全国黒人向上協会(NAACP)のロイ・ウィルキンズや全アメリカ都市同盟(NUL)のホイットニー・キングなども駆けつけ、黒人団体の指導者が一堂に会することになりました。

しかし、この行進を通じて、各団体の間で指導理念や意見のくい違いが生じました。

とくに問題となったのは、非暴力か暴力か、白人と黒人の統合かそれとも分離か、という点でした。

このことは、行進に同行したキング牧師が翌年に書いた『黒人の進む道』(邦訳)のなかの「ここからわれわれはどこへ進むのか」に述べられています。

そのなかでキング牧師は、「行進はしだいに、SNCCが64年にミシシッピ夏期計画を実施した中心の町グリーンウッドへ近づく。

その町にわれわれが近づくと、古い友だち薪しい友だちが群をなして、歓迎のために外へ出てきた。

その晩、町の公園で開かれた大糞を集めての集会で、ストークリーは演壇にあがり、ミシシッピの正義について強力な攻撃を加えて聴衆を湧き立たせた後で、彼はこう宣言した。

『われわれが必要としているのは、ブラックパワーなのだ』」と書いています。

ブラックパワーの爆発 その3

このストークリー・カーマイケルが提唱した「ブラックパワー」は、たちまち全米にひろがり、1966年11月にカーマイケルがカリフォルニア大学バークレー校で行った演説により、さらに強力な影響を持つことになりました。

ブラックパワーという言葉は白人を不安にさせ、逆に黒人たちを鼓舞激励して、カーマイケルは一躍「時の人」にのしあがりました。

しかし、不安を覚えた白人たちの間に「ホワイト・バックラッシュ」と呼ばれる現象が現われ、その年の秋に行われた中間選挙では、カリフォルニアでドナルド・レーガン(後の大統領)が州知事に当選するというような波乱が起こっています。

このように保守的な政治家や人種差別王義者の政治家が当選することも珍しくないほど、この「バックラッシュ」の波は大きかったのです。

その後、力ーマイケルは67年にSNCCの委員長をやめ、66年に戦闘的なブラック・パンサー党の党首に転身しましたが、翌年には同党を去ってアメリカから離れていきました。

彼はガーナのエンクルマ大統領の思想の影響を受け、汎アメリカ主義運動をアフリカで続けていくようになり、その指導力は弱まりました。

この間、アメリカ各地では依然として暴動が続き、1966年の夏にはシカゴとクリーブランドで大暴動が起こりました。

67年6月12日にはフロリダのタンパで、翌日にはシンシナティで、17日にはアトランタで暴動が発生。

7月に入ると情勢はますます悪化し、12日にニューヨークで、22日にはデトロイトで大暴動に発展しました。

About

2010年06月にブログ「暇人の屋根裏部屋」に投稿されたすべてのエントリです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2010年05月です。

次のアーカイブは2010年07月です。

他にも多くのエントリがあります。メインページアーカイブページも見てください。

管理人のお気に入り

  • セイコー 腕時計
  • 腕時計のWEB通販。セイコー(SEIKO),グッチ(GUCCI),ブルガリ(BLGARI),SKAGEN(スカーゲン),トミー ヒルフィガー(TOMY HILFIGER)の時計を激安で通販しております。
デスクトップ仮想化
通販コールセンター

EC&通販専門のコールセンター会社に、無料で複数の見積が取れる一括見積サイト「EC通販コールセンターナビ」。小コールや短期間でもOK!