ブラックパワーの爆発 その3
このストークリー・カーマイケルが提唱した「ブラックパワー」は、たちまち全米にひろがり、1966年11月にカーマイケルがカリフォルニア大学バークレー校で行った演説により、さらに強力な影響を持つことになりました。
ブラックパワーという言葉は白人を不安にさせ、逆に黒人たちを鼓舞激励して、カーマイケルは一躍「時の人」にのしあがりました。
しかし、不安を覚えた白人たちの間に「ホワイト・バックラッシュ」と呼ばれる現象が現われ、その年の秋に行われた中間選挙では、カリフォルニアでドナルド・レーガン(後の大統領)が州知事に当選するというような波乱が起こっています。
このように保守的な政治家や人種差別王義者の政治家が当選することも珍しくないほど、この「バックラッシュ」の波は大きかったのです。
その後、力ーマイケルは67年にSNCCの委員長をやめ、66年に戦闘的なブラック・パンサー党の党首に転身しましたが、翌年には同党を去ってアメリカから離れていきました。
彼はガーナのエンクルマ大統領の思想の影響を受け、汎アメリカ主義運動をアフリカで続けていくようになり、その指導力は弱まりました。
この間、アメリカ各地では依然として暴動が続き、1966年の夏にはシカゴとクリーブランドで大暴動が起こりました。
67年6月12日にはフロリダのタンパで、翌日にはシンシナティで、17日にはアトランタで暴動が発生。
7月に入ると情勢はますます悪化し、12日にニューヨークで、22日にはデトロイトで大暴動に発展しました。